2008.6.20
拍動
人間の心の状態を最もよく表しているのは拍動(脈拍)である。この拍動は植物神経系と動物神経系(勝ってにそう呼びたい衝動がある。つまり交感神経系は動物からの発達系。副交感神経は植物であった頃の名残りと理解したほうがいいのではないかと思っているのだ。)
私は
人間は不規則でできている
人間には受身になりたい欲求がある
とセミナーでも話す席でも言うのだが、拍動が心の状態を端的に表しているとも言えるので、脈を身体の状態ととらえる西洋医学や医師の捕らえ方ではなくて、植物系と動物系が交互に出る人間の生命の記憶のほうに深い意味を考えてしまう。
このことをマッサージにはめて考えると、
仕事帰りの女性がサロンにやってくる。エレベーターに乗るか、階段を上がるか。気分はしんどかった仕事から解放されて、人の手に自分を委ねて、完全な受身になるのである。しかしまだ、仕事の直後だ。興奮も残っている。脈拍はやや早めである。サロンに入り、ソファにすわり、ジンジャーティーを飲み、そうして落ち着いてくると服を着替え、ベッドに横になるのである。マッサージは初め、やや早めの脈拍にあわせて、70/分ほどのストロークで開始する。だんだんと60ほどまでゆっくりとコントロールしていく。脈拍もそれにあわせてスローになっていく。心の状態は母胎の体内にいたときのようにまどろみ、まるで大洋に浮かぶ胎児のようだ。 私達は単細胞生物から人類にまで変化してきた。どうにかすると、細胞のひとつに人間になるまでの情報が詰まっている。もしかして、コンピュータの情報は消去でないと思われていたのに、技術者がないはずのデータを取り出してくるように、実は消去された記憶というのはまた細胞のどこかに潜んで存在するかのように思えてくる。
これらの細胞は動脈からの酸素と栄養素で生きることになるが、落ち着いた拍動も休息の細胞に必要なのではないか。
こんなことを考えながら理屈を組み立てていくのが私の仕事の一分野である。
薬が効きにくくなっている新たな「うつ病」が発生し始めている。私はいつも思うことだが、人間は、その哀しみも、怒りも、苦痛も、哀願も胎児期から乳幼児期、つまり記憶が消去されている人生の最初の時期のことが個人史として明らかになれば、「うつ病」は治っていくのではないかと思っている。その頃へのアプローチのしかたが大変重要で、薬では神経をぼんやりさせるだけで、本当の解決にはならないのだろうと思っている。
その点で、積極的に記憶をたどらせたり、想像させてみたり、分類をさせ、認識度を深めたりして、自分と言う人間が35億年のドラマの中で勝ち残ってこの地球にいることと、人であるかぎり必ず存在そのものが役を持ち、生きる責任があることを認識できれば、多くの「うつ病」はリセットされるように思うのだ。
母胎にいる時期、八ケ月も過ぎた頃、母親と父親が大声を出して喧嘩を始めた。母はなき、死にたいと叫び、子どももろも死んでやる、と言い、次の日も、その次の日も、嘆き、怒り、子供など生まれてこないほうがよいと思っていた場合に、その母親の気持ちは胎児のできあがりつつある神経や脳に影響を及ぼすだろうことは明白のような気がする。血管にも太い細いがあるように、神経にも疵のつき方や、柔軟性や、伝達性が違う風に出来上がるかもしれない。
胎児から乳児期の頃に遡る体験は自分のことではなくて、別の小説やテレビドラマなどで、第三者としてみるだけである。自分の胎内、乳児期記憶について、議論し、想像していく場所があればいい。
予防医学はそこまでいかないと、と常日頃思う。しかしそこまで行くと、医学も教育も同列線にならぶことになる。
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